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なぜ宅建の勉強をするのか哲学的に考えてみる

(1)イントロ

何千人という合格者、その何倍かの不合格者を見てきた経験から、人々が宅建の勉強をする理由は何だったのか、を書きとめておきたいと思います。

(2)抽象論

現在勉強中の方を含め、人々が宅建の勉強をする理由は、次の二つに集約できます。
■ 学びたいから学んだ
■ 学ばないと生き残れないから学んだ

(3)具体論

(イ)学びたいから学んだ人

学びたいから学んだ人に、それじゃ、なぜ「学びたいと思ったのですか?」と尋ねてみると、さまざまな答が返ってきました。

・ 自己啓発のために、宅建を学びたいと思いました
・ 自信をつけるために、宅建を学びたいと思いました
・ ステップアップのために、宅建を学びたいと思いました

中には「夢をかなえるために、宅建を学びたいと思いました」と答える人がいました。
それじゃ、「その夢って何ですか?」と聞くと、私が腰を抜かしてしまう夢を教えてくれた人が何百人といました(内容はその方たちの秘密なので、ここでは一切書きません)。

(ロ)学ばないと生き残れないから学んだ人

その典型が、現在、不動産屋さんにお勤めの人です。特に営業関係です。

不動産屋さんの営業では、いまだに「取引士にあらざれば人にあらず」的な風潮が残っているし、将来のことを考えると納得できます。

就職活動中の学生さん、転職を考えている人たちも、「学ばないと生き残れないから学んだ」タイプに属する場合が多いです。

(4)人生いろいろ有ら~な!

ま、価値観は一人一人違うので、「なぜ宅建の勉強をするのか」なんていうことをメッセージに書くこと自体、無意味だと思う人もいるでしょうね。

価値観が一人一人違うことを前面に押し出す思想を、哲学では相対主義といいます。

相対とは
基準(物差し)を決め
他と比較しながら
物事を考えることです


だから相対主義に立てば、価値観は一人一人違うので、学びたいから学んだ人も、学ばないと生き残れないから学んだ人も、「人生いろいろ有ら~な!」でオシマイです。

これを哲学では相対主義のワナと言います。
「人生いろいろ有ら~な!」じゃ、他の人が読んでも参考にならないし、思考がそこでストップしちゃうからです。

「相対主義のワナ」に異を唱えようとすると、今度は絶対主義に立たざるを得なくなります。

絶対とは
基準(物差し)を決めず
他と比較しないで
物事を考えることです


絶対主義を突き詰めると、宗教に行き着きます。
「旧統一協会の神は絶対だ」と考えてる信者は、そこに基準(物差し)も、他の宗教との比較も無いわけです。

ほとんどの宅建講師は、「私についてくれば絶対に合格させます。
とにかく私について来なさい!」と言います。
その瞬間、その講師も絶対主義になるわけです。

絶対主義に立つ講師は、相対主義のワナ(人生いろいろ有ら~な!)から受講者を開放してくれそうなので、一定の信者を獲得できます。

でも限界があります。

われわれが子ども時代から受けてきた教育は、相対主義(価値観は一人一人違う)によるからです。
政治も世の中の仕組みも、宗教性があるものを除けば、みんな相対主義(政治学の言葉では民主主義)によっています。
だから絶対主義に立つ講師は、うさん臭さのワナに気づかないまま、受講者獲得に限界を感じることになります。

(5)私の立場

私は、基本的には相対主義です。
だから、十人十色・百人百様・千差万別・「人生いろいろ有ら~な!」なんていう言葉を良く使います。

そこで口が裂けても、「迷物講師についてくれば絶対に合格させます。とにかく迷物講師について来なさい!」とは言えません。

相対主義なので相対主義のワナも十分承知しています。

「人生いろいろ有ら~な!」じゃ、他の人が読んでも参考にならないし、思考がそこでストップしちゃう欠点をいつも考えている、ということです。

その上で、あえて書いたのが今日の記事です。

相対主義に立とうが絶対主義を信奉しようが、短期合格するためには精神的な抵抗力を身につけることがとても重要です。
その抵抗力を身につけるには、今日書いた哲学の道筋(相対主義絶対主義)を意識してみるのも有効ではないかと…。


2009年12月26日(土)記
2021年10月16日(土)追記
2023年11月10日(金)追記



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