今回は、12月11日(火)に書いた記事の続きです。
(1)相手の信頼を裏切るな!
「信義誠実の原則」や「権利濫用の禁止」は、「物事の道理に反し、世間が許さない」ことです。
これは、法律上のフェアプレーの精神(相手を信頼する事)に支えられています。
だから、いろいろと理屈をこねくり回しているようですが、
・ 相手の信頼を裏切らないことが「信義誠実の原則」
・ 相手の信頼を裏切っちゃダメが「権利濫用の禁止」
に過ぎません。
(2)当たり前
相手の信頼を裏切る人が「物事の道理に反し」、そんなヤツを「世間が許さない」のは、当たり前ですよね!
民法なんて、そんな「当たり前」の事が書いてある法律です。
「信義誠実の原則」とか「権利濫用の禁止」なんていう難しい言葉を持ち出すまでもなく、民法は全部が「当たり前」の事が書いてあるに過ぎません。
それなのに、宅建受験者のかたは民法が難しいと言います。
一番の原因は、教える側にあると、私は考えています。
教える側(予備校・講師)が、教わる人(受験者)の信頼を裏切っているんだと思います。
(3)脱線ついでに
話が脱線してきましたが、脱線ついでに、ここで「信義誠実の原則」や「権利濫用の禁止」を、もっともっと簡略化してしまおうと思います。
それは、「自分勝手にならない」ようにする手段のひとつが、信義誠実の原則や権利濫用の禁止だという話です。
「封建社会を打ち破って成立した近代民法は、私的自治の原則を確立しました(わが国では明治30年代)。
この私的自治は、民法の基本原理(民法が作られた目的)です。
そして私的自治とは、私生活における意思の自由(自治)を尊重することです。
自由を「尊いものとして重んじる」のが私的自治です。
でも、これって何か変だと思いませんか?
私たちが「尊いものとして重んじる」べきは、果たして自由だけなのか? という疑問です。
(4)私たちはロビンソン・クルーソーではない
無人島に独り漂着したロビンソン・クルーソーなら、「尊いものとして重んじる」べきは自由だけで良いかも知れません。
でも私たちは、1億人以上の人々が、この狭い日本で社会生活を送っています。
独り暮らしではなく、共同生活をしているのです。
それなのに、「尊いものとして重んじる」べきは自由だけだ! なんて触れ回ったら、あの人頭がちょっと変! なんて言われてしまいそうです。
1億人以上の人々が、尊いとされる自由だけを謳歌していたら、相手を「出し抜く」のに長(た)けたヤツだけが勝ち組になり、正直者がバカをみる社会になってしまうでしょう。
あるいは、金持ちは資金力に物を言わせてさらに豊かになり、貧乏人はいつまで経っても貧乏のままでしょう。
こういう殺伐とした共同生活にならないためには、どうしても、民法の基本原理(私的自治)に制限を加えなければならない、と国会議員も裁判官も学者も考えてきました。
その制限が、「自分勝手にならない」ようにね! ということなのです。
つまり、「自分勝手にならない」ように、私生活における意思の自由を尊重するのが、宅建試験で出題される民法の基本原理(民法が作られた目的)なのです。
(5)だからどうしたの?
この「自分勝手にならない限り自由」ということを知っていると、宅建試験の合格に直結するどころか、さらに上位資格への挑戦も楽になること請合いです。
ここは宅建ブログなので、宅建試験に出題される法律に限定すれば、
・ 民法
・ 借地借家法
・ 区分所有法
・ 不動産登記法
・ 宅建業法
・ 都市計画法
・ 建築基準法
・ 国土利用計画法
・ 農地法
・ 宅地造成及び特定盛土等規制法
・ 土地区画整理法
について、「自分勝手にならない限り自由」ということを知っていれば、理解がすごく速くなります。
民法だけに限定しても、
・ 信義誠実の原則、権利濫用の禁止
・ 相隣関係
・ 不法行為
・ 最近出題が多くなった最高裁判例
について、「自分勝手にならない限り自由」ということを知ってさえいれば、同じく理解が速まります。
(6)具体例
平成24年度問9肢3にこんな問題が出ました。
「Aに雇用されているBが、勤務中にA所有の乗用車を運転し、営業活動のため得意先に向かっている途中で交通事故を起こし、歩いていたCに危害を加えた。Aの使用者責任が認められてCに対して損害を賠償した場合には、AはBに対して求償することができるので、Bに資力があれば、最終的にはAはCに対して賠償した損害額の全額を常にBから回収することができる。」
登場人物
A…使用者
B…被用者(従業員)
C…不法行為の被害者
です。
この問題は「使用者責任」の問題です。
使用者責任とは、従業員(B)が不法行為を行ったときに、従業員とは別に、その従業員を雇っている使用者(A)が不法行為による損害賠償責任を負うことです。
Aが使用者責任として被害者Cに損害賠償義務を負った場合、Aは被用者Bに求償できることが民法715条3項で定められています。
でも、いくらまで求償できるかは民法には書いてないです。そこで最高裁判例は、「使用者は、その事業の性格、規模、被用者の業務内容、労働条件などに照らし、損害の公平な分担という見地から、信義則上相当と認められる限度」で被用者に求償できるとしています。
要するに、信義則上(信義誠実の原則上)相当と認められる限度までしか求償できないとすることで、被用者Bに過酷な結果が生じないよう配慮しているのが、最高裁判例なのです(昭和51年7月8日)。
そこで、「Bに資力(弁償できる財産)があれば、最終的にはAはCに対して賠償した損害額の全額を常にBから回収することができる」と書いてあるこの問題は、誤りの肢となるのです。
上の方で書いたように、相手の信頼を裏切らない事が「信義誠実の原則」ですが、この最高裁判決は、一生懸命営業活動をしている従業員の会社に対する思い(忠誠心?)を裏切っちゃダメよ!
と言っているのです。
そういう従業員に対して、損害額の全額を会社が回収するなんて、会社の自分勝手でしょ! と言っているんですね。
さらに言えば、相手(従業員)の信頼を裏切る人(会社)は「物事の道理に反し」、そんなヤツを「世間が許さない」んですね。
皆さんなら、損害額の全額を回収しようとする会社なんて許せますか?
2012年12月27日(木)記
2023年12月08日(金)追記
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