最後に更新した日:2021年09月18日(土)
この記事は平成13年1月12日のもので、宅建倶楽部創業時の苦労話を披露した記事。
時は平成5年12月。
「夕刊フジ」や「夕刊ゲンダイ」に対抗しようと、アスカという夕刊紙が創刊されました。
タレントの島田紳助を使い、テレビのスポット広告をじゃんじゃん流しました。
「今度まったく新しい形の夕刊紙が誕生しまーす」と。
当時、宅建倶楽部は創業間もない時期で、宣伝は住宅新報社の不動産受験新報(月刊誌)だけで行っていましたが、頭打ちでした。
ある日、広告代理店から電話があり、「夕刊アスカが創刊されるから、今なら格安で宅建倶楽部さんの広告を載せられる」というので、喜んで依頼しました。
4回(4日連続)載せて10万円(消費税別)という約束です。
私は「これで俺も有名になれる」と喜び勇み、駅の売店でアスカを10部くらい買って来ては、知り合いに配ったりしていました。
さて、宣伝効果はどうだったか。
反応ゼロでした。
オマケに、夕刊アスカはそれから1ヶ月も経たないうちに廃刊になっちゃいました。
ナンダコリャ!
宅建倶楽部創業時の苦労話でした。
最初に投稿した日:2001年1月12日(金)