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神田のオジサン


『自分の私生活は公開しないくせに、受講者の私生活を知りたがる講師ばかり…怒…、そこで迷物講師は不平等な関係を改める為に、自分の私生活を積極的に公開しま~す…ハイ!…』



2006年(平成18年)から書き始めた、メッセージです。

親戚私の母親の父の弟)に、戦前の読売新聞で記者をやってた人がいました。
でもスキャンダルを起こして、終戦直後に首になっちゃった。

その人は、戦後のドサクサ時代からずっと、ゴロツキ新聞(私の父親がそう呼んでいた)を発行し、総会屋みたいなことをしていました。

何かネタはないかと、大蔵省(現財務省)に勤めている父親の所にも、よく飲みにきました。
お金はすごくあって、東京の一等地(靖国神社の近辺)に広大な土地も持ってました。

昭和25年(1950年)頃には、渋谷駅前の土地を坪200円(20万円じゃない!)で買った、と自慢していたそうです(後で父親から聞いた話)。

その人のことを、我が家では神田のオジサンと呼んでました。

昭和25年頃、私の父親は共産党員の首切りをする仕事をしていました。
いわゆるレッド・パージの先鋒をかつがされていたのです。
ある意味で権力の側にいたわけです。
でも安月給でした。

私はいま、権力の側にいた父親と、ゴロツキ新聞を発行していた「神田のオジサン」の、両方の影響を受けて育ったと思っています(両方共すでに故人)。

私自身、30代前半で大手自動車会社をドロップ・アウトした時、真っ先に考えたのは「神田のオジサン」のような生き方をすることでした。

でも、そうはしませんでした。

父親のように権力側に付くのもイヤだけど、裏社会で生きて行くのもイヤだったのです。
それでイロイロ廻って辿り着いたのが、今の仕事ですただし宅建講師を最後の仕事にするつもりは無いです)。

このように考えるのは、私の中に生まれつき存在する、一種のバランス感覚だと思ってます。

こういう感覚で、今の風潮を見ていると、すっごく面白いです。

今回のライブドア問題では、「神田のオジサン」のようなジャーナリストが大勢登場しているからです。

いまの検事総長を、政治とつながった「悪の検事総長」呼ばわりするジャーナリストがいるかと思えば、「生活のためにやっているんだなぁ」と哀れみさえ感じる人もいます。

そこで言いたいです。
長い物に巻かれちゃダメだけど世の中を斜めに見てもダメ


2006年02月07日(火)記
2021年09月10日(土)追記
2023年11月30日(木)追記



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