迷物講師が放射能に敏感になっている理由

ネットだけでなく,機会あるごとに原発事故の深刻さを説いて回っている迷物講師ですが,このような態度を批判する人が多いのも,また事実です。

そこで,私が現在,こうまで放射能に敏感になっている理由を少しだけ書かせて頂きます。

(1)少年時代から

私が少年時代(昭和30年代),大気中での核実験が頻繁に行われていました。
その頃の大人たちは「雨に濡れると放射能で頭がハゲちゃうぞ」と子どもたちに注意するくらいで,それ以上の対策は何もとってくれませんでした。

放射能の影響は若い人ほど大きいと言われますが,私はすでに,少年時代に今回の原発事故を上回る影響を受けていたかも知れないのです。

これが事実だとすれば,私の放射能に対する許容量は限界に近づいていることになります。
少なくとも,これを否定する根拠は,現在見つかっていません。

今年の秋,少年野球時代からの友人が急性白血病で逝っちゃいましたが,身近でこんな事実まで見せつけられると,ますます放射能に敏感にならざるを得ないのです。

(2)東海村バケツ臨界事故の教訓

平成11年(1999年)9月30日に,いわゆるバケツ臨界事故が茨城県の東海村原発で起きました。

原料であるウラン化合物を溶かす工程で,ステンレス製のバケツを用いたという非常識が事故を招いたと報道されたもので,記憶していらっしゃる方も多いと思います。

実はあの事故について,相当な権限を持っていた責任者が,私の小学校時代からの友人でした(急性白血病で逝っちゃたのとは別人です)。

事故の翌々月(平成11年11月)に,小学校時代の恩師を囲んでクラス会が開かれたのですが,そこで彼から,バケツ事故の裏話,さらにその裏の裏の話など,ここでは書けない,いろいろな話を取材(?)できました。

ま,書けることと言えば、彼のアドバイスに従って,迷物講師は平成11年の暮れには,すでに「相当高機能のガイガーカウンター」を持っていたということです。

東海村バケツ臨界事故当時,マスコミも書けなかった一時情報を得ていたことが,ますます放射能に敏感にならざるを得ない現在につながっているのです。

(3)自分で得た一時情報

平成11年の暮れに買った「相当高機能のガイガーカウンター」は,今回の原発事故の直後も,今まで通り動いてくれました。

私および私の周辺で一時情報を得るのに,非常に役立ちました。

これは,政府・東電・NHK等の情報が「いかに信用できないか」を,自分の目で確かめる役目も果たしてくれました。

実は,私の奥さんの実家は福島県某市です。
私の義兄は,米を中心にした農業を営んでいます。

そこで,実家およびその周辺の福島県の方々から直接得た情報も,強力な一時情報になります。

ガイガーカウンターや福島県の方々から得た一時情報を加味すると,ますます放射能に敏感にならざるを得ない自分の姿に気付くのです。

私は,日本が経済的に潰れたらオシマイと思っている人間です。だから,政府・東電・NHK等の最近の情報に100パーセント異議を唱えるものじゃないです。自然科学的な事実が「もう人が住めないほどの首都圏になってしまった」としても,なんとか経済との関係で両立できないか,と心配し対策も打っている一般庶民です。

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平成23年12月7日(水)記



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