(1)我妻栄先生
民法学の重鎮は、信義誠実の原則や権利濫用の禁止は「やたら持ち出すものではない!」という意味で使っておられます。
他の民法の条文を適用すれば解決できるときは、それらの条文を適用すればよく、
・ 民法の条文が無いとき
・ 民法の条文をそのまま適用すると変な結果になってしまうとき
に伝家の宝刀ないし御本尊として、最後に持ち出すべきものが、信義誠実の原則や権利濫用の禁止だ、と重鎮はおっしゃっています。
民法の条文が無いとき、あるいは、 民法の条文をそのまま適用すると変な結果になってしまうときは、控えていたオブザーバー(伝家の宝刀ないし御本尊)が、「物事の道理に反し、世間が許さないことはダメだよ!」とか、「自分勝手はダメでしょ!」などと最後にアドバイスしてくれます。それが信義誠実の原則や権利濫用の禁止だと理解して下さい。
※
民法学の重鎮とは我妻栄先生(1897-1973)のことです。
安倍元首相の祖父(母方)は岸信介元首相ですが、その岸さんとは旧制高校、東京帝大の同級生で首席を争った大秀才。最高裁判例の多くは、今でも我妻説の影響を強く受けていると思います。
(2)これでオシマイ
「信義誠実の原則」と「権利濫用の禁止」 というタイトルで書き出した記事は、【その7】になってしまいました。我ながらノメリ込み過ぎかなと思っています。
「やたら持ち出すものではない!」との我妻先生の御託宣にもかかわらず長々と書いてきたのは、宅建が法律の入門資格だからです。
民法に初めて触れたかたは、参考書や条文を丸暗記しようとする傾向が強いです。
「でもそれじゃ民法では合格点を取れないよ!」ということを何とか伝えたくて、私自身がノメリ込んでしまいました。
民法に限らずすべての法律は、「目的」と「手段」の関係で出来ています。
人間社会を扱うのが法律ですから、これは当然のことなのです。
私たちは「幸せになるという目的」のために、「仕事したり・結婚したりという手段」を使うわけですが、法律も同じです。
民法の目的は、初心者のかたにも分かるように言えば、私生活について「自分勝手にならない限り自由」にすることです。
「自分勝手にならない限り自由」にするという目的のために、明治時代の議会(帝国議会)が民法という法律を制定した(作った)のです。
その手段、つまり「自分勝手にならない限り自由」にするための手段は、2023年現在1050条もある民法の各条文です。
手段はまだあります。「民法の条文が無いとき」や「民法の条文をそのまま適用すると変な結果になってしまうとき」は、判例(最終的には最高裁判例)が、「自分勝手にならない限り自由」であることの手段の役目を果たします。
その際は、「物事の道理に反し、世間が許さないことはダメだよ!」とか、「自分勝手はダメでしょ!」などという考慮がされます。その考慮が、「信義誠実の原則や権利濫用の禁止だよ!」、と私は初心者の皆さまにお伝えしたいのです。
これをお伝えすれば、私の宅建講師としての民法講義の役割は半分くらい終わりです。
そこで、「信義誠実の原則や権利濫用の禁止」というタイトルでこのメッセージを書くのは、これでオシマイにします。
2013年01月04日(金)記
2013年02月04日(月)追記
2021年10月16日(土)追記
2023年12月08日(金)追記
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