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民法は法律の基本


【序論】
「民法は法律の基本」ですが、これについて具体的に考えたことのない人が、あまりにも多すぎます!

そこで、迷物図書館【特別室】で勉強して下さっている方を対象に、この記事を書きます。
まずは、「民法と借地借家法の関係」を書きますが、この記事の文章は少し長いです。

(1)
民法は社会生活の自由を保障します。
自由を保障するのが民法です。

(2)
でも、100パーセント自由を保障すると、「自分勝手になったり」「不平等になる」場合があります。
そのような場合には、民法の自由が規制されます。

(3)
まず、民法自身が自由を規制することがあります。
これを、民法上の強行法規といいます。
・「不動産物権変動は登記をしなければ第三者に対抗できない」(民法177条)
・「隣地の使用請求」(民法209条)
なんかがそうです。
(4)
ところで、 民法604条は、賃貸借の存続期間は「最高でも20年」と決めています。

貸主は、先祖伝来の不動産の使用権を、自分の代で失いたくないので、あまり長い期間貸すのを嫌います。
だから20年が最高となっているのです。
しかし、最高が20年じゃ、借地借家法の借主が不利なことも結構あります。
そこで借地借家法は、借地借家の借主を保護するために、民法の自由を規制します。

(5)
借地借家の借主は一般に弱者です。
弱者とは、ここでは2つのことを指します。

(イ)地位の入れ替えがあまりない
親が借家住まいなら子も借家住まいが多い、ということです。逆に親が土地持ちなら子も土地持ちが多い、ということです。
本人だけで考えても、地位の入れ替えはあまりないです。
自分の不動産を持てたとしても、それを貸して借り賃を得るようになれる人は稀です。
(ロ)借り惜しみが出来ない
不動産は動物で言えば「巣」です。
借り惜しみしていたら、橋の下に住むことになり、命さえ失いかねないので、借り賃も貸主の言いなりになり易いです。
そこで、国民の平等をホントに図るには、弱者である借地借家の借主にハンデを与える必要があります。
逆に言えば、貸主に対して民法の自由を規制する必要があります。
例えば、借地借家法3条が借地権の存続期間を「最低でも30年」としているのは、そのためです。
(6)
せっかく法律を勉強するのだから、ここで「一皮むける」ための法律的な教養も書いておきましょう。

(7)
みなさんはサラリーマンの人が多いでしょう。
サラリーマンを保護する法律には労働基準法をはじめ、イロイロな労働関係法規があります。
これらも民法の自由を規制する法律です。

なぜ労働基準法なんかがサラリーマンを保護するかと言えば、サラリーマンは一般に弱者だからです。

弱者とは、ここでは2つのことを指します。

(イ)地位の入れ替えがあまりない
親がサラリーマンなら子もサラリーマンが多い、ということです。
逆に親が経営者なら子も経営者が多い、ということです。
本人だけで考えても、地位の入れ替えはあまりないです。
サラリーマンから経営者になれる人は稀です。
(ロ)売り惜しみが出来ない
サラリーマンの皆さんは、御飯を食べるために、自分の労働力を会社に売っています。
言ってみれば、労働力の売主がサラリーマンです。
売り惜しみしていたら、今晩の御飯さえ食べられず、命さえ失いかねないので、給料も経営者の言いなりになり易いです。
そこで、国民の平等をホントに図るには、弱者であるサラリーマンにハンデを与える必要があります。
逆に言えば、経営者に対して民法の自由を規制する必要があります。
例えば、労働関係の法律が不当解雇を禁止したりストライキ権を認めているのは、そのためです。

(8)
借地借家法も労働関係法規も、「弱者のとらえかた」は同じだったのですね。
どうですか。一皮むけましたか?
【第一章】法律の基本は「自由の保障」
(1)
「民法は法律の基本」で「自由を保障するのが民法」なので、「法律の基本は自由の保障にある」という理屈になります。

(2)
こう言われても、法律を勉強したばかりの皆さんは、何となく違和感をもつでしょう。
だって宅建試験に出る法律なんて、自由どころか規制だらけですもんね(笑)。
そこで、「法律の基本は自由の保障にある」となったイキサチを勉強しておきましょう。
(3)
話はフランス革命(1789年~1799年)にまで、さかのぼります。
それまでの絶対王政による専制政治に苦しめられていた市民の暴動・圧力で、封建制度の廃止が宣言されたのがフランス革命です。
ナポレオンが皇帝になって革命は終結しました。
この革命によって、フランスの封建制度は終わりを告げるのです。
(4)
明治新政府は、このフランス革命の精神を導入しました。
自由・平等・博愛(フランスの三色旗)を旨として、わが国の民法が作られました。
とは言っても、ほとんどがナポレオンが作った民法(ナポレオン民法)のパクリでしたが…。
まあ、このようなイキサツから、「法律の基本は自由の保障にある」となったのです。
(5)
ところで、きわめて形式的にとらえると、自由と平等は矛盾します。
人には性別・家柄・能力等に差があるので、自由を貫くと、勝ち組と負け組の差は拡大し、不平等になってしまうからです。
逆に、平等を貫くと、勝ち組と負け組という言葉自体なくなるでしょうが、人々の自由なチャレンジ精神は萎(しぼ)んでしまいます。

(6)
そこで現在では、自由と平等を実質的にとらえ、両者を調和させようとしています。
両者を調和させながら、自由に重きを置く立場が自由主義(資本主義)、平等に重きを置く立場が社会主義(共産主義)です。
(7)
我が国は自由主義の立場にたっています。
そこで民法の解釈としては、あくまで「自由を保障するのが民法」だ、となるのです。
その上で、「自分勝手になったり」「不平等になる」場合は、民法の自由が規制される、と解釈します。
ちなみに、この点について言及している民法の条文は1条もないです。
六法全書を買ってきても全然記述がないです。

(8)
ここまで書いてきたことは、実は、皆さんが中学や高校の社会科で習ったはずです。
宅建の勉強は興味・好奇心をもってするのが一番なので、あえて昔習ったことの復習をしてみました。
【第二章】「自由競争」に奉仕するための三つの原則
(1)
どんな法律も、どの国の法律も、経済体制に影響されています。
経済は法律よりエライ!
わが民法も、自由主義(資本主義)の影響をモロに受けています。
自由主義というのは、「自由競争」の社会ということです。
(2)
自由競争の社会に奉仕するために、民法は、
・契約自由の原則
・所有権絶対の原則
・過失責任の原則
の三つを置いています(条文には直接書いてないです)。
この三つが、民法を勉強するときの基本中の基本ですが、全部当たり前のことなので、そんなに構えないで読んでほしいです。

(3)
一番目の「契約自由の原則」というのは、「人々が思った通りの結果」を認めてあげることです。
不動産を売りたいと思う売主と、それを買いたいと思う買主の行動を、法律が認めてあげなければ、話は始まらないです。
自由競争どころじゃないでしょう。
(4)
二番目の「所有権絶対の原則」というのは、「自然界に存在する物の利用」を認めてあげることです。
不動産・食料品・衣料品・自動車などの物を利用しなければ、現代人は生きていけません。
物を利用することが法律で保護されない社会じゃ、そもそも自由競争の前提が崩れちゃいます。
せっかくマイホームを手に入れても、その正当性を法律が保証してくれなければ、安心して会社にも行けやしません。
「所有権絶対の原則」は、物権を勉強するときの基本です。
(5)
三番目の「過失責任の原則」というのは、「自分が悪かったときだけ責任を負えばよい」ということです。
誰かさんが損害をこうむったとき、自分に非がないのに責任をとらされたのでは、安心して仕事ができません。
行動が萎縮してしまい、自由競争になりません。
「過失責任の原則」は、債務不履行による損害賠償責任や不法行為による損害賠償責任を勉強するときの基本です。
(6)
自由競争という土台の上に、「契約自由」「所有権絶対」「過失責任」という三本の大黒柱が建っている!
民法の基本はそんなイメージオです。
【第三章】所有権絶対の原則
(1)
「所有権絶対の原則」というのは、「自然界に存在する物の利用」を認めてあげることです。
不動産・自動車・食品などの物を利用しなければ、現代人は生きていけません。
物を利用することが法律で保護されない社会じゃ、そもそも自由競争の前提が崩れちゃいます。
せっかくマイホームを手に入れても、その正当性を法律が保証してくれなければ、安心して会社にも行けやしないですよね。
そこで、物の利用を認める「所有権絶対の原則」があるわけです。

(2)
民法が認める「物の利用」とは、次の三つを指します。
・物を、自分で利用すること(難しい言葉で「使用権」といいます)
・物を誰かに貸して、賃り賃を得たりすること(難しい言葉で「収益権」といいます)
・物を、誰かに売り払ったり、自分の借金の担保にすること(難しい言葉で「処分権」といいます)
(3)
だから、使用・収益・処分の三つの作用ができるのが、ここでいう「物の利用」の意味です。
この三作用を全部できるのが所有権という権利なので(民法206条)、昔の学者が、「所有権絶対の原則」なんていう名前を付けました。
(4)
ところで、
・原始時代は、「自給自足」の社会でした。
・その後、物と物を取り替える「物々交換」の社会になりました。(市場の発生) ・そして現在は、物とお金を取り替える「売買契約中心」の社会です。

(5)
「自給自足」や「物々交換」の社会では、所有者が、物を現実に支配している必要がありました。
しかし現在では、物を現実に支配なくても良いです。
手に持っていなくても所有者になれるのです。
つまり、物を支配できる可能性さえあれば、所有権を取得できることになっています。
このような制度にしないと、「自由競争」の社会が成り立たないからです。
このことは、毎日のように経済ニュースを賑わす株式相場、特に先物取引を考えれば、理解し易いでしょう。
現物取引に限ったのでは、外国為替相場(例:円ドル相場)も成り立ちません。
つまり、現在の所有権は、頭の中で構築できる権利(観念的な権利)になっています。
「自由競争」の社会に奉仕するために、そうなっているのです。
(6)
頭の中で構築できる観念的な権利だということは、物がこの世から消滅しない限り、所有権がオールマイティーであることを意味します。
オールマイティーなので、所有権が存続することについて時間的な制約もないです。
物がこの世から消滅しない限り、所有権は永久に存続します。
永久に存続するので、所有権は消滅時効にかかりません(民法167条2項)。
この点は、最近こんな問題が出題されたました。
平成26年[問3]肢(2)
所有権は、権利を行使することができる時から20年間行使しないときは消滅し、その目的物は国庫に帰属する。[答はバツ]
所有権は消滅時効になる権利から除外されています。つまり所有権は、その権利を行使することができる時から何年間行使しなくても、消滅することはないです。その理由は、所有権のオールマイティー性にあるのです。
【第四章】契約自由の原則(その1)
(1)
「契約自由の原則」というのは、「人々が思った通りの結果」を認めてあげることです。

不動産を売りたいと思う売主と、それを買いたいと思う買主の行動を、法律が認めてあげなければ、話は始まりませんね。
自由競争どころじゃないです。

そこで、人々が思った通りの結果を認める「契約自由の原則」があるわけです。
(2)
皆さんが、ある不動産を売りたいと思いました。
皆さんは不動産の売買契約の売主です。

その場合、買主となるべき人に、「この不動産を買って下さい」という意思を表明します。
これを「申込み」といいます。
(3)
その申込みを受けた買主となるべき人が、「よろしい、この不動産を買いましょう」という意思を、皆さんに表明します。
これを「承諾」といいます。

(4)
人々が思った通りの結果を認めるのが「契約自由の原則」なので、売主となるべき皆さんの「申込み」と、買主となるべき人の「承諾」が合致することで、契約が成立することになっています。
(5)
契約は、どんな契約でも「申込み」と「承諾」の意思が合致することで成立するのが原則です。

(6)
なお、売主の意思がいつも「申込み」になるのじゃないので、注意しましょう。
買主の意思が「申込み」になることも、ざらにあります。
例えば、不動産の買主となるべき人が、「この不動産を売って下さい」という意思を表明して、売主となるべき皆さんが「よろしい、この不動産を売りましょう」という意思を表明した場合、買主の意思が「申込み」で、皆さんの意思が「承諾」になります。
要するに、
・「先に意思を表明したほう」が「申込み」
・「後で意思を表明したほう」が「承諾」
です。
(7)
「申込み」「承諾」は立派な専門用語ですが、難しいことはないです。
われわれの常識で十分対処できます。
男性が女性にプロポーズするでしょ?
あれを日本語では結婚の「申込み」といいます。
同じなのです!
男性の「申込み」を受けた女性が、OKしたら、そのOKが「承諾」というわけです。
プロポーズ、それに対するOKも立派な契約(婚姻予約契約)です。
(8)
封建時代には、人々が思った通りの結果を認める「契約自由の原則」なんて機能していませんでした。
結婚相手だって自分じゃ決められなかったのが、ほとんどでした。
庶民がヘタに恋愛でもしようものなら、近松の「曽根崎心中」の世界が待っていたのです。
【第五章】契約自由の原則(その2)
(1)
そもそも「契約」って何でしょう?

手元にある法律学辞典によれば、「互いに対立する二個以上の意思表示の合致によって成立する法律行為」と書いてあります。
でも、この定義じゃ堅いですね。
丸暗記しても実益はないです。

契約とは約束のことです。
国語辞典(広辞苑)にもそう書いてあります。
これで一生使えるはずです。
学者を目指すのでなければ、「契約=約束」で十分です。
(2)
民法は、549条以下で13種類の契約を列挙しています。
1.贈与契約 民法549条
2.売買契約 民法555条
3.交換契約 民法586条
4.消費貸借契約 民法587条
5.使用貸借契約 民法593条
6.賃貸借契約 民法601条
7.雇用契約 民法623条
8.請負契約 民法632条
9.委任契約 民法643条
10.寄託契約 民法657条
11.組合契約 民法667条
12.終身定期金契約 民法689条
13.和解契約 民法695条
以上の13種類を、学者は、「典型契約ないし有名契約」と呼んでいます。
でも私に言わせれば、13種類が典型・有名だったのは、民法が出来た明治時代のことです。
21世紀の現在では、役目を終えちゃった契約が三つあります。
雇用契約、組合契約、終身定期金契約です。
例えば雇用契約は、労働基準法などの特別法で、ほぼ100パーセント、「労働契約」という名前の契約に大幅修正されています。
(3)
上の13種類以外にも、民法は契約の種類をイロイロ定めています。
イ.代理権授与契約 民法99条
ロ.地上権設定契約 民法265条
ハ.永小作権設定契約 民法270条
ニ.地役権設定契約 民法280条
ホ.質権設定契約 民法342条
へ.抵当権設定契約 民法369条
ト.契約によって成立する連帯債務 民法432条
チ.保証契約 民法446条
リ.連帯保証契約 民法454条
ヌ.債権譲渡契約 民法466条
なんかがそうです。
(4)
契約は、まだまだ有ります。
じゃ、上の13種類とイ.~ヌ.の他に、どのくらいの契約があるか、皆さんは知っているでしょうか?
変な質問しちゃったけど、契約が何種類あるか答えられる人はいません。無限にあるからです。
なぜって、契約は約束のことでしょ。
人間同士の約束なんて無限にあります。
だから契約の種類も無限にあるっていうわけ…。

宅建の勉強が進んでくると、
・特約(「特別の約束」という意味)
・特段の定め
なんていう言葉に出くわすでしょう。
これらも約束だから立派な契約です。
(5)
無限にある契約について、「人々が思った通りの結果」を認めてあげること、こんな当たり前のことが「契約自由の原則」なのです。
【第六章】契約自由の原則(その3)
(1)
契約自由の原則の「自由」って何でしょう?

この自由には、まず、契約を「締結する自由・締結しない自由」があります。
契約するかどうかを、他から強制されない自由ですね。
しかし、「自分勝手になったり」「不平等になる」場合には、契約を「締結する自由・締結しない自由」が規制されます。
例えば、借地借家法5条1項は、「借地権の存続期間が満了する場合に、建物があれば、借地権者が契約の更新を請求したときは、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなす」と書いてあります。
これは、地主が本来持っている契約を「締結する自由・締結しない自由」を奪って、更新契約を締結することを法律が強制しているものです。
(2)
医師法19条は、「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めていますが、これも契約を「締結する自由・しない自由」を規制するものです。
公共性のある仕事には、「不平等になる」のを避けるために、同じような決まりがあります。
タクシーの運転手等は正当な事由がなければ乗車拒否できない(道路運送法13条)、電気やガスを供給する事業者は正当な理由がなければ供給を拒否できない(電気事業法18、ガス事業法16条)、なんていうのがそうです。
(3)
放送法32条は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と書いてあります。
協会とは日本放送協会、つまりNHKのことです。
「不平等になる」のを避ける(受信料を払っている人がバカをみるのを避ける)ために、放送法32条があると、一般には説明されています。
これは、日本国民のほとんどの、契約を「締結する自由・しない自由」を規制するもので、いま非常に問題になっている条文です。
なぜ問題になっているかを法理論的に説明すると、こうなります。
上の(1)(2)で書いた、借地借家法・医師法・道路運送法・電気事業法・ガス事業法は、弱者ないし一般国民のために、強者(地主・医師・旅客運送事業者・電気ガス事業者)が本来持っている契約を「締結する自由・締結しない自由」を規制するものです。
でも独り放送法だけは、救済する者が弱者や一般国民ではなく、強者(NHK)になる危険性があるのです!
受信契約を強制することは、NHKの収入を増やすだけになりはしないか、という疑問でもあります。
(4)
考えることができる受験者になって頂きたくて、宅建試験には出ないことも書いてみました。
【第七章】契約自由の原則(その4)
(1)
契約自由の原則の「自由」には、契約「方式の自由」というのもあります。
契約は特別の方式によらなくても成立する、ということです。
(2)
特別の方式によらなくても良いので、契約は当事者の合意だけで成立します。
つまり、契約は「申込み」と「承諾」の意思が合致することで成立します。
・「先に意思を表明したほう」が「申込み」
・「後で意思を表明したほう」が「承諾」
でした(【第四章】)。

そこで、契約は申込みに対する承「諾」があった瞬間に「成」立するので、「契約は原則として諾成(だくせい)契約である」といいます。
贈与契約・売買契約・交換契約・賃貸借契約・請負契約・委任契約などは、みんな諾成契約です。

(3)
ただし、例外はあります。
当事者の合意の他に、物の引渡しを要する契約も、あることはあります。
こういうのは、契約の成立に「物」の引渡しまで「要」求されるので、要物(ようぶつ)契約といいます。
消費貸借契約・使用貸借契約・寄託契約が要物契約です。

上の3つが要物契約とされるのは、歴史的にそうなっているからだと学者は言いますが、あまりスッキリしない説明です。
特に、消費貸借契約が要物契約であるのは、「自由競争」社会の現代にはマッチしません。
銀行などが金銭を貸し付ける契約が消費貸借の典型ですが、消費貸借契約が要物契約であることを突き詰めると、銀行が金銭を貸し付ける「前に」行う抵当権の設定登記は無効になってしまいます。
銀行の貸付債権は、実際に物(金銭)を引き渡すまで成立せず、未発生の債権に対する抵当権の設定は無効だからです(抵当権の付従性)。
かと言って、銀行が金銭を貸し付けた「後に」抵当権の設定登記をするんじゃ、担保の意味をなしません(いわゆる持ち逃げの可能性あり)。
そこで実務では、消費貸借をできるだけ諾成契約に近づけて解釈するなど、「自由競争」社会にマッチするよう運用されています(でも宅建試験の答えとしては、消費貸借契約は要物契約であると解答して下さい)。
(4)
特別の方式によらなくても良いので、契約は、書面を作成しなくても成立します。
契約は口約束でも成立するわけです。

最近のネット社会を見ればわかる通り、口約束さえ不要なこともあります。
ネット取引では、パソコン画面をクリックしただけで契約が成立しちゃう。
このように、書面を作成しなくても契約が成立することを、専門用語で「契約は不要式行為である」といいます。
まさにスピードが要求される「自由競争」社会にマッチした制度です。
(5)
したがって、「自由競争」社会の論理をそのまま持ち込むのが妥当でない場合には、書面の作成が義務付けられることがあります。
例えば、保証契約には、書面の作成が義務付けられます。
つまり、「保証契約は、書面でしなければ、その効力を生じない」ことになっています(民法446条2項)。
これは、保証人となることの危険性を十分に認識させるためです。
誰かの借金の保証人になってひどい目に遭う人が多い社会的実体を考慮して、平成17年に立法化されました。
「自由競争」社会の論理をそのまま持ち込むのが妥当でない場合には、契約自体ではないものの、契約の前後に、書面の作成が義務付けられることがあります。
重要事項の説明義務があるのは、その例です(宅建業法35条)。
これは、商品の品質を判断するのが複雑な場合(不動産の取引の場合)に、契約を成立させる「前」の買主等に、その商品に関する情報を書面で開示させる制度です。
いま情報開示が各方面で花盛りですが、宅建業法の重要事項の説明義務は、その先駆者と言えます。
37条書面の交付義務があるのも、そうです(宅建業法37条)。
これは、契約の内容が複雑な場合(不動産の契約の場合)に、契約を成立させた「後」に、重要な契約内容を明確にして、書面化して当事者に保存させる制度です。
【第八章】契約自由の原則(その5)
(1)
契約自由の原則の「自由」には、契約「内容決定の自由」というのもあります。
契約締結に際して、その内容をどのように定めても良い、ということです。
(2)
(イ)
したがって、例えば売買契約に際して、手付金の額を何円にしようが、当事者の合意がある限り自由です。
極端な話、代金額が3000万円で手付金が2900万円という契約も可能です。
民法上、手付金の額に規制はないです。
(ロ)
同じく、売買契約に際して、損害賠償の予定等(前もって定めておく迷惑料・違約金)の額を何円にしようが、当事者の合意がある限り自由です。
代金額が3000万円で損害賠償の予定等が5000万円という契約も可能です。
民法上、損害賠償の予定等の額にも規制はないです。
(ハ)
ところで、契約「内容決定の自由」の底に流れているのも、「自由競争」社会の論理です。
したがって、「自由競争」社会の論理をそのまま持ち込むのが妥当でない場合には、契約「内容決定の自由」も規制されます。
宅建試験で有名な、いわゆる8種規制(自ら売主となり買主が非業者のときだけの規制)はその例です。
宅建業者が自ら売主になり、かつ、買主が非業者である場合には、手付金の額や損害賠償の予定等の額に規制がない、とはなりません。
宅建業法が民法を修正して、両方とも、代金額の20パーセントに規制しています。
いわゆる8種規制の場合は、プロ(宅建業者)対素人(非業者)の取引になります。
そこで、素人の利益のためにハンデを与えているのです。
世の中、プロと素人が競争するときは、素人にハンデを与えるでしょ?
将棋・囲碁・ゴルフなんかを思えば分かり易いと思います。
「自由競争」は当事者の力量が平等であってこそ成り立つ、という側面があります。
競争は正々堂々と行うもの。「せこい自由競争」じゃ競争とは言えません!
(3)
「自由競争」社会の論理をそのまま持ち込むのが妥当でない場合に、契約「内容決定の自由」を規制するのは、宅建業法に限られません。
宅建試験に出題されるあらゆる法律に波及しています。
(イ)
まず、民法自身が、契約「内容決定の自由」を規制する場合があります。
暴力団員Aが拳銃の売主、迷物講師が買主になるとします。
価格その他細部に至るまで、当事者の合意があります。

しかし、この拳銃の売買契約には、「内容決定の自由」が全然認められません。
売買契約は効力を生じません。無効です。
公の秩序に反するので民法90条で無効にされちゃいます。
「せこい自由競争」を通り越して「犯罪社会」を容認することになっちゃうからです。
(ロ)
こんなのも有ります。
農業を営むAが、知事の許可を受けないで、1ヘクタール(1万㎡)の田んぼを住宅にするつもりで宅建業者Bに売りました。
価格その他細部に至るまで、当事者の合意があります。

この田んぼの売買契約にも、「内容決定の自由」が全然認められません。
売買契約は効力を生じません。
農地法5条3項で所有権移転の効力を否定されちゃいます。

なぜでしょう?
理由は二つあります。
一つは、農地の売買を自由にすると、耕す権利が昔のように一部の人(大地主)に集約され、水のみ百姓に転落する危険があるからです(農家の生活権の保護)。
もう一つの理由は、農地をつぶすこと(宅地にすること)を自由にすると、農業生産力が落ちてしまい、我が国の農産物自給率が下がってしまう危険があるからです(農業生産力の増進)。
「農家の生活権の保護」も「農業生産力の増進」も、前者は歴史的に弱者とされてきた者が生きるか死ぬかの問題、後者は国民の胃袋全体に響く問題であり、「自由競争」社会の論理になじまないのです。
そこで農地法5条3項は、知事の許可を得ないでした、上のような農地の売買契約は所有権移転の効力が生じないようにしているのです。
(4)
ここで話した、契約「内容決定の自由」に関する話は、宅建試験で一番出題される箇所です。
(イ)
契約「内容決定の自由」がある理由は、ひとことで言えば、「自由競争」社会のためです。
(ロ)
それが規制される理由は、ひとことで言えば、「自由競争」社会の論理をそのまま持ち込むのが妥当でない点にあります。
(ハ)
宅建試験で出題される分量は、契約「内容決定の自由」が規制されるほうが断然に多いです。
上で説明した8種規制・拳銃の売買・農地法5条なんて、ほんの一部にすぎません。
(5)
「理由のない結論はない!」
これが私の持論です。

世の中、結論だけ覚えさせようとする宅建の教材・サイトが、あまりに多すぎます。
結論だけ覚えていたのでは、一度しかない人生、ホントにもったいない。理由が考えられる宅建受験者を一人でも増やすのが、私のライフワークです。
宅建になんか受からなくてもいいから…(をいをい!)。
…これでオシマイ…

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