国家あっての国民

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平成20年度版の有料講座・教材が全部完成したので、受験者の質問に答える以外は、読書三昧(ざんまい)の日々を送っている迷物講師です。

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とは言っても、何か新しい本を買ってくるわけじゃないです。

むかし買った本を読み直しているだけです。

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きのうは、伊藤榮樹(しげき)さんの本を読み直しました。

知らない人も多いでしょうが、30年以上も前のロッキード事件で、田中角榮元首相が逮捕された時の東京地検特捜部の検事です。

その後、検察の最高ポスト(検事総長)にまで昇りつめた方です。

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伊藤榮樹さんが書いていたことで、この30年間、私の頭から離れない言葉があります。

それは「家あっての検察」というフレーズ。

事あるごとに「巨悪を眠らせるな!」と発言していた伊藤さんですが、最後の最後では、「国家権力の悪にも目をつぶることがある」ということです。

その際、伊藤さんが使ったフレーズが「国家あっての検察」でした。

30年前は、妙に納得させられたフレーズでした(今はそうでもないです)。

国のシステムが崩壊したら、検察もクソもないですからね。
検察だって国のシステムの一部を構成しているわけだし。

日本国があるからこそ、日本人という言葉もあると言えるわけだし…。

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伊藤さんの「国家あっての検察」のフレーズは、その後、わが国の支配者によってアレンジされ、好んで使われるようになりました。

それが、この記事のタイトル「国家あっての国民」です。

「国家が崩壊したら国民の幸せもクソもない。だから税金が少し高くなったくらいで文句を言うな!」という使われ方が典型でした。

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もっとも今では、「国家あっての国民」は人気がないです。

今は、逆の「国民あっての国家」という言葉のほうが人気です。

民主主義では国民が主人公です(国民主権主義)。

とすれば、「国民あっての国家」というフレーズのほうに人気があるのは当然かもしれません。

ある本の著者は、「支配者は『国家あっての国民』という価値観を国民の心に刷り込もうとするから気をつけろ!」とまで言います

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私は現在、

「国家あっての国民」
「国民あっての国家」

のどちらが正しいのか判断しかねています。

そもそも、白黒つけること自体が無理なフレーズかもしれません。

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「国民あっての国家」というフレーズは、憲法を少しかじったことがある私からすれば、一応理にかなっています。

確かに、民主主義では国民が主人公だからです(国民主権主義)。

でも私には、「民主主義って万能なの?」という根本的な疑問があります。

「人民の、人民による、人民のための」デモクラシーって、その大もとにいる人民がバカだったら、絵空事に過ぎないじゃないか、という疑問です。

国民が政治家を選ぶ。
そして
選ばれた政治家が悪を犯す。

となった場合に、そういう悪を犯す政治家を選んだ国民がバカ(愚衆)だったから、とも言えます。

こういう考えかたを「愚衆(ぐしゅう)政治」といい、民主主義を冷やかすときに良く使われます。

愚衆政治だからと言って、毎日の生活に追われている国民の多くを「愚衆から開放する」のは不可能でしょうから、「民主主義=愚衆政治」との冷やかしに反論するのも難しいです。

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したがって、いま人気がある「国民あっての国家」というフレーズも、愚衆政治という考え方をミックスしてみると、もろてをあげて賛成するわけにもいきません。

近頃はそのへんを探るべく、読書三昧の日々を送っています。

平成20年7月25日(金)記



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