(1)
子供の頃から暗記がニガテで、偏差値が一番低い都立高校にも入れなかった落ちこぼれ。それが迷物講師です。
それでも入れる私立に行きましたが、そこにスゴイ先生がいて、「世の中に、理由のない結論はない。だから諸君はいつもなぜかを考えて人生を送ってくれ!」という言葉に洗脳されました。
それから、本を良く読むようになりました。
とくに新書を片っ端から読みました。
(2)
[中学時代]
1945年にわが国に原爆が投下される7年も前の1938年、岩波書店が日本で最初に新書(岩波新書)を出しました。
中学1年の同級生T君のオヤジさんが岩波書店の編集やってたので、老舗出版社の普通知られていない話は、この他にもうんと教えてもらいました。
それでも本を読むのは好きじゃなかった…。
[高校時代]
太平洋戦争をはさんで紆余曲折があったようですが、私の高校時代は、新書ブームでした。
その頃には、教養新書の御三家と言われる岩波新書、中公新書、講談社現代新書も出揃っていました。
(3)
ところで、上の教養新書は、どれも電車の中で気軽に読めるものじゃなかったです。非常に学術性の高いものばかりだったから…。
(4)
社会人になると、新書を買った記憶はほとんどないです。
読んだのは、仕事に関する専門書ばかり。
新書の空白期間は、10年は続いたでしょうか。
(5)
再び新書を買い出したのは、宅建倶楽部を始めてからです。その頃は、いわゆる「新書戦争」の幕開けと言われていました。
御三家である岩波新書、中公新書、講談社現代新書に、第4勢力「ちくま新書」が殴りこみをかけてきたのが、新書戦争の発端です。
今では、平凡社新書、集英社新書、新潮新書、幻冬舎新書など、名の知れた出版社は、みんな新書市場にも参入していますね。
ソフトバンク新書なんていうものまであって、古い人間にはビックリです。
(6)
この新書戦争によって、御三家もガラリと性格を変えてしまったようです。
・ 永六輔の「大往生」(岩波新書)
・ 水木しげるの「妖怪画談」(岩波新書)
・ 野口悠紀雄の「『超』整理法」(中公新書)
など、大衆化路線の始まり!
電車の中でも気軽に読めるものが多くなりました。
新潮新書の大ヒット(養老孟司の「バカの壁」= 350万部)が、大衆化路線にさらに拍車をかけているようです。
(7)
大衆化路線をもって「大衆迎合!」と悪口を言う識者がいますが、私はそうは思いません。
電車の中で気軽に読めないような「非常に学術性の高い」新書を懐かしむ感覚がズレているのです。
以上、高校時代になってようやく本に目覚めた宅建講師の新書批評でした。
こんな私が言うのもなんですが、特に若い皆さんへ…。
宅建は、いわゆる活字を読むアナログ試験です。
どんどん本を乱読して国語力を高めましょう!