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昔の話
おぼっちゃまとビンボー人が混ざっている
『自分の私生活は公開しないくせに、受講者の私生活を知りたがる講師ばかり…怒…、そこで迷物講師は不平等な関係を改める為に、自分の私生活を積極的に公開しま~す…ハイ!…』
私は公務員の息子であり、すごく可愛がられて育ちました。
参考書やテキストを買うと言えば、父親は、遊ぶ金だと知りつつもお金をくれました。
その意味では「おぼっちゃま」でした。
でも、うちの家計は苦しかったです。
給料の遅配が絶対にない公務員なのに、苦しかった!
6畳と4畳半しかない公務員住宅で、
私の父親は「妻の母」まで扶養していました。
しかも私の母親は、結核を患っていました。
4回も5回も入院しました。
私が4歳から6歳までずっと入院していたので、
合格した幼稚園から入園を断られました。
その間は、
明治生まれの「おばあちゃん」が母親でした。
病弱な母親は、退院すると「袋張りの内職」をしました。
新宿伊勢丹の買い物袋を作る内職です。
私も当然手伝いました。 その意味では「ビンボー人」の心が少しは分かります。
この「おぼっちゃま」性と「ビンボー人」魂が、
私の中では、いくつになっても見事に混在していて、整理できないでいます。
重要な決断をする時、決まって、両者のハザマで悩まされます。
7月7日は誕生日。また一つ歳を取りました。 「日くれて道遠し」だなぁ~。
2005年07月07日(木)記
2024年07月08日(月)追記
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