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菊は栄える葵は枯れる


『自分の私生活は公開しないくせに、受講者の私生活を知りたがる講師ばかり…怒…、そこで迷物講師は不平等な関係を改める為に、自分の私生活を積極的に公開しま~す…ハイ!…』


「幕末以降現代までの日本の権力構造の研究」。
いかにもアカデミックなフレーズだけど、これって私の趣味。
こんなのが趣味になったのは、早くも中学生の時です。
オグチ君は「ニ葉よりカンバシ」ですな!

私の日本史好きは息子にも遺伝し、彼はすでに小学校4年で、「徳川慶喜がどうのこうの…」と父親に薀蓄(うんちく)を垂れていました。

表題の「菊は栄える葵(あおい)は枯れる」は、分かる皆さんも多いでしょうが、幕末から明治初期を端的に表現したものです。

菊は天皇家の紋章、葵は徳川家のそれですね。

私の中学は、東京都新宿区立四谷第一中学校(現四谷中学校)という所でした。

そこにスゴイ社会科の先生がいました。
黒羽清隆くろは きよたか)先生です。

その黒羽先生が黒板に大きく書いたフレーズが、今でも忘れられない。「菊は栄える葵は枯れる」でした。

まさに「教育とは印象なり」です!

先生には、中学の学習指導要領を大幅に超えた日本史の話をうんとしてもらったお陰で、「菊は栄える葵は枯れる」は、この歳になっても夢に出てきます。

スゴイ先生は、中学校から高校の先生、最後は静岡大学の教授になられました。

でも、「佳人薄命」とは先生のためにあるような言葉で、1987年(昭和62年)に53歳で帰らぬ人になってしまいました。

日本近代思想史家でもあった黒羽清隆先生のご冥福を、あらためてお祈り致します。

黒羽清隆先生のこと書いたウィキペディア

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最後にウィキペディアには書いてない(書けない)超裏情報を…。

ウィキペディアによると、黒羽先生は東京都杉並区出身となってますが、本当の先生の家柄は、栃木県那須地方の土豪であった大関氏の直系(江戸時代末期では1万8千石の譜代大名)だったんです。 この大名の名も大関氏でした。

ところが、大関氏が治めていた所領の名は、戦国時代から黒羽(くろばね)と呼ばれていた所なんです。

黒羽(くろばね)は、私が若い時は栃木県那須郡黒羽(くろばね)という町でしたが、2005年(平成17年)10月1日に、隣接する大田原(おおたわら)市に編入され、現在町は消滅してしまいました。

黒羽(くろばね)には、幕府の隠密とも言われた「俳人 松尾芭蕉」も訪ねています。

大関氏⇒黒羽(くろばね)⇒黒羽(くろは)、といかなる理由で変遷し、黒羽清隆くろは きよたか)先生になったか、わたくし迷物は父親の遠い先祖が同じく栃木県那須地方の土豪であった大田原おおたわら氏の家来であったことから、知っているのですが、この辺のイキサツはプロの歴史学者でも知らない「徳川家康以降秘密扱い」されている事項なので、ここでは御開帳できません。

墓場まで持って行くつもりです。

※余談

都々逸(どどいつ)が趣味の>スタッフ doremi に最近教えてもらったのですが、「菊は栄える葵は枯れる」は幕末から文明開化の頃の都々逸の「一部」に過ぎないとのこと。

完全版は菊は栄える葵は枯れる西に轡くつわの音がするとのこと。
「西の轡って、薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)が徳川幕府打倒のために向けた軍勢の音」みたいな意味らしい。 黒羽先生は、さすが中学生には難しすぎるだろうと、「菊は栄える葵は枯れる」で止めておいたのではないか?とわたくし迷物は想像するのであります。

写真は、松尾芭蕉が立ち寄ったことで有名な雲巌寺(大田原市黒羽)の山門です。




2007年02月10日(土)記
2023年01月19日(木)追記
2023年02月06日(金)追記
2023年11月22日(水)追記



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