父を偲ぶ
昭和29年6月12日、覚せい剤取締法の罰則が重くなりました。
重い罰則を定めた覚せい剤取締法は、「公布と同時に施行」されました。
広島県のほうで、罰則が重くなった当日の昭和29年6月12日に覚せい剤取締法違反を犯した人がいました。
その人には広島高等裁判所で、重くなった罰則が適用されました。
そこで被告人は、「重くなったことを知らせる官報が、広島方面には全然届いていなかったのに、重い罰則が適用されるのは憲法違反だ!」、と最高裁判所に上告しました。
最高裁判所昭和33年10月15日の大法廷判決は、この問題に決着をつけ、下のように言っています。
この判決は、今でも「法令の公布時期」に関する代表的な判例になっています。
「法令を官報により公布する場合において、その法令を掲載した官報が、印刷局から発送され、一般希望者において右官報を閲覧し、または購読し得る場所である東京都官報販売所または大蔵省印刷局官報課のうちのいずれかに最初に到達したときは、右法令は、おそくとも、右最初に到達した時までには公布せられたものと解すべきである。」
そこで、広島方面には全然官報が届いていなかったとしても、この被告人の行為は、東京都官報販売所または大蔵省印刷局官報課のうちのいずれかに最初に到達した「後」だったので、上告が棄却され、被告人には重い罰則が適用されることが確定しました。
この判決から19年後の昭和52年に、私の父親は、大蔵省印刷局(現国立印刷局=紙幣の紙を抄造したり印刷したりするのを主な仕事とする独立行政法人)の官報課長になりました。
そこでまず最初に取り組んだ仕事が、官報の流通システムの改善でした。
「言ってみれば上の判決は絵空事であり、一般の希望者が官報を閲覧・購入できる時間には、相当な地域格差があるではないか!」、と家族の前では怒っていたし、反省もしていました。
当時の官報は全部が鉄道で発送され、東京駅第一便(関東・東海・近畿方面)、新宿駅(山梨方面)、上野駅(北海道・東北・北関東北陸方面)、両国駅(千葉方面)、東京駅第二便(中国・四国・九州方面)の順だったので、一般の希望者が官報を閲覧・購入できる時間は、実際には相当な地域格差があったのです。
これをイロイロと改善したのが私の父親でした(詳しくは書けませんが)。
もっとも、インターネットで官報が閲覧できる今となっては、父親の仕事は無駄だったかも知れませんね。
でも、地域格差をなくす精神だけは、今でも受け継がれていると信じたいです。
だいぶ父親を褒めちゃった!
きのうの土曜日は、父親の13回忌を行いました(平成7年2月没)。
ほんの内輪で法要をやって、夕食はフランス料理を食べてきました。
まだ私が独身だったころ、婚約者(今の奥さん)を含めて家族みんなで、自宅で一杯飲むのが慣例でした。
ご機嫌で軍歌を歌っている、ノンキャリアの「飲んべい官報課長」の音声をアップしておきました(歌=父親、ピアノ=弟、ギター=私)。
もの好きな人は、どうぞ聴いてやってください。 こちら。

平成19年 2月25日(日)記
令和 4年12月 3日(土)追記
令和 5年 2月 8日(水)追記
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