6千人超の命を奪った阪神淡路大震災から、令和5年(2023年)1月17日(火)になると、28年目29回忌です。
このメッセージを追記しているのは、まだ令和4年(2022年)12月ですが、お正月前後の忙しさで阪神淡路大震災を忘れると6千人超の犠牲者に失礼になるので、書いています。
平成7年1月17日の午前8時頃、私は一本の電話で起こされました。
「お兄さん安心して下さい。弟さんは東京に居ましたから!」
弟(当時独身)の仕事仲間からの電話でした。
夜中に仕事をし午前中は寝ているのが、その頃の私のスタイル。
最初は何のことか全然分かりませんでした。
テレビをつけて、初めて事の重大さを認識しました。
弟の当時の勤務先は、 博報堂(関西支社)。
弟の当時の自宅は、神戸市東灘区で、山口組の田岡組長宅から歩いて2分の所(笑)。
私に電話があった頃、博報堂(関西支社)から緊急招集された弟は、すでに機中の人でした。
鉄道も道路もズタズタになった阪神方面に入る一番早い手段は、何だったと思いますか?
飛行機と船でした。
関西空港まで飛行機で行き、そこから船で入ったそうです。
※
博報堂(関西支社)では、3名が亡くなりました。
私の受講者の家族も、亡くなりました。