(1)
ネット隆盛以前に一生の蓄えを作ったというメッセージで、「迷物講師の『母親』は八百屋の娘」と書きました。
したがって、迷物講師の母方の「おじいちゃん」は、八百屋だった事になります。
(2)
今回は、母方の「おじいちゃん」が、なぜ八百屋だったか、について書きます。
(3)
そもそも、迷物講師の母方の「ひいおじいちゃん」は、茨城県で超有名な「お坊さん」でした。
その法名を、市毛善明(いちげ・ぜんみょう)と言いました。
そんな事から、市毛善明の長男だった私の「おじいちゃん」は、鶴見の総持寺で「お坊さん」の修業をさせられました。
でも長続きせず、修行を途中で放棄。
それでなったのが、八百屋だったという事です。
八百屋を営んでいた場所は、現在の東京都大田区。
詳しくは、京浜急行の学校裏駅(現在の平和島駅)前でした。
その「おじいちゃん」は、太平洋戦争中に亡くなりました。
あの戦争では、9人家族のうち、後に私の母親となる娘と妻(私の祖母)以外の7人が亡くなりました。
(4)
そんなワケで、市毛善明(ひいおじいちゃん) → 八百屋だった市毛善明の長男(おじいちゃん) → 私の母親 → その長男である迷物講師という流れで、迷物講師の母方の家系は続いているのです。
なお、むかし自宅に置いてあった仏壇は、以下の二つの理由で、現在は弟夫婦が管理してます。
①父方の先祖が神社神道である
②迷物講師は無神論者である
弟夫婦に預けてある仏壇の過去帳筆頭には、『市毛善明和尚』と書いてあります。
お坊さんは出家しているので、戒名はないです。
だから、『市毛善明和尚』となっているんですね。