(3)法律に従わなければならないのは「どうして」なのか
最後に、法律に従わなければいけないのは「どうして」なのでしょうか?
これは古代から繰り返し論じられてきた難問であり、いまだに答えが出ていません。
たとえば、ギリシアの哲学者ソクラテスは、「納得のいかない法律だから従わない、という態度はよくない。
誰もがそのような態度をとるようになったら、社会が崩壊するからである。
だから、どんな内容の法律であっても、とりあえず従うべきである。
そして、法律に納得がいかないのなら、政治の場で、議論によって改善するべきである」といったことを考えていました。
ソクラテス自身は、自らに下された不当な死刑判決を受け入れるという形で、文字通り「死ぬまで」この考え方を貫きました。
すでに見たように、法律は国会の両議院の議決を経て制定されます。
国会の両議院を構成するのは、有権者が選挙を通じて選出した国会議員です。
有権者の代表として国会に送り出された議員が、議論を通じて制定した法律である以上、たとえ内容に納得いかないとしても、その責任は議員を選出した有権者にあるのだから、やはり法律には従うべきである――
これが、法律に従わなければいけないのは「どうして」なのかという問いに対する、一応の回答になります。
しかし、この回答にみなさんは満足でしょうか?
みなさんの中には、まだ選挙権をお持ちでない方もおられるはずです。
そのような人々の意見は、上記のプロセスでは法律に反映されていません(選挙権をお持ちの方が、選挙を棄権する場合も同様です)。
さらに言えば、ほとんどの法律はみなさんが生まれる前に制定されたのに、その責任をみなさんが負わなければならないというのは、いささか不合理に感じられます。
――法律が法律であること自体が、法律に従うべき理由となるか
この問いは、しばしば「悪法に従うべき理由はあるか」という形で問い直されます。
悪法、すなわち道徳的に邪悪な内容の法律を前にして、はたして無批判に従うべきでしょうか?
むしろ、そういった法律にあえて「従わない」ことで、国の法秩序全体に対する尊重の姿勢を示した人がいました。
アメリカの公民権運動を指導したキング牧師です。
キング牧師は、祖国アメリカを愛し、その法秩序を尊重するがゆえに、人種差別を肯定する邪悪な法律にあえて背いて罰を受けることで、その改善を促しました(これを「市民的不服従」といいます)。
法律を尊重するというのは、それに無批判に従うことではありません。
法律が正しい内容を持っているからこそ、それに従うべき理由が正当化されるのです。
そのためには、「なんとなく」法律に従うのではなく、世の中の流れに関心を持ち、自分の頭で是非を判断し、時には政治の場で声を上げることが求められます。
法学部は、そのための知識を獲得するにあたって、まさに絶好の場所であると言えるでしょう。
…終わり…
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